アラブの春の意味と原因、失敗とその後、中東の不安定要素と難民 | 楽しいことが一番大切

アラブの春の意味と原因、失敗とその後、中東の不安定要素と難民

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民主化は政治の不安定を乗り越えられるか

アラブの春に見られる民主化の壁

「アラブの春」とは一体何だったのでしょう。2011年から中東から北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動のことを言います。

この時に政権交代まで進んだのが、チュニジアやエジプト,リビアです。同時に他の国でも政府が民主化デモ側の要求を受け入れたわけです。

2011年の「アラブの春」のきっかけ

SNSの存在がとても大きかった

その始まりは北アフリカのチュニジアで発生した反政府デモでした。やがて中東・北アフリカ諸国に拡大していった「アラブの春」。

長期独裁政権が続いていたチュニジアやエジプトでは大統領が退陣しました。リビアでは反体制派との武力衝突を経て政権交代に至ります。

アラブの春の特徴は、一般の民衆が変革の原動力となった点です。経済的格差や独裁政権による統制や政治参加の制限等に対して民衆の不満が高まっていったわけです。

民衆はツイッターやフェイスブックなどのSNSや衛星放送等のメディアを駆使し、連帯と情報共有を図って行きました。その結果、国境を越えて民主化運動が拡大していったわけです。

チュニジアでの「アラブの春」

2010年12月17日、チュニジアの一人の失業中の青年が,路上販売に対する当局の取り締まりに抗議して焼身自殺を図りました。

この事件をきっかけにして、直後から各地で起きた大規模デモが起こります。全国規模で政権打倒の民主化デモが拡大し、1か月も経たない2011年1月14日にベン・アリ大統領は国外逃亡を余儀なくされたのです。

23年間続いた独裁政権があっけなく崩壊し、同年10月、制憲国民議会選挙が実施されます。その結果、イスラム主義政党エンナハダが第一党となり、大統領と首相が選出され、民主化へと進む新政権がスタートしたわけです。

エジプトでの「アラブの春」

エジプトでは、2011年1月25日以降,国内で反体制デモが発生しました。その結果、同年2月11日,ムバラク大統領が国軍最高会議に権限を委譲し、30年に及ぶ長期政権が崩壊したのです。

暫定的な軍政がスタートしたにも関わらず、最近に至るまでデモ隊と軍の衝突が続いていて、2012年5月に大統領選挙が実施されましたが、民政移管がうまくいっていません。

リビアでの「アラブの春」

2011年2月以降、リビア国内では反体制派とカダフィ政権との激しい戦闘が継続し,多くの犠牲者が発生したのです。

国際社会は、政権の自国民に対する武力行使を強く非難、国連安保理決議によって英米仏を中心とした多国籍軍による軍事行動が開始されます。

その結果,42年に及ぶカダフィ政権が崩壊、反体制派がリビア全土の解放を宣言、移行政府の首相が選出されます。

その他の国における「アラブの春」

イエメンでは,混乱の拡大の中、大統領選挙が行われ,副大統領が大統領に就任しています。バーレーン,オマーン,クウェート,ヨルダン,モロッコ,アルジェリアなどの各国でも,反政府デモが発生しました。

その結果、これらの政府は反政府側の民主化への要求に対して,様々な対応を行った結果、バーレーン,ヨルダン及びモロッコでは憲法改正も実現しました。